1770年4月のある日、ウィーンのシェーンブルン宮殿の鏡の間で、ハプスブルク家の女帝マリア・テレジアは、フランスのブルボン家に嫁ぐ末娘のマリー・アントワネットに、王太子妃となる心構えを説いていた。この時、マリーは若干14歳。両家の間に取り交わされた政略結婚の真意を理解するにはあまりに幼く、母の心配をよそに明るく無邪気に振る舞うのであった。
時は流れて1788年。先王は既に亡く、フランスはルイ16世の御代になっていた。王妃マリー・アントワネットは、ベルサイユ宮殿で取り巻きの貴婦人達と遊興に耽りながらも、決して心弾むことのない日々を送っていた。表面では王妃に媚びへつらいながら、裏では「オーストリア女」と蔑む貴族達に囲まれた息詰まる宮廷生活。その孤独感を紛らわすため、アントワネットは果てしなく豪奢に着飾り、賭け事に没頭するしかなかった。そんな彼女の心を捕らえたのは、スウェーデンの青年貴族フェルゼン伯爵との恋であった。少女の頃に政治の道具として結婚を強いられた彼女にとって、フェルゼンは初めて心から愛した男性だった。フェルゼンもまた、美しく気高い王妃に心惹かれ、決して許されぬ恋と知りながらのめり込んでいく。二人の背負う哀しい運命が、この恋を一層燃え上がらせた。
しかし、フランスの民衆は最早、王妃の不倫を単なる戯れとして見過ごすことはしなかった。一握りの特権階級による長年の搾取で国全体が疲弊し、財政は破綻寸前であった。やがて、自分たちを苦しめる貧困の元凶として、華美なベルサイユ宮廷に君臨する王妃に、非難が集中し始める。女性でありながら近衛隊隊長として王妃の側近くに仕えるオスカルは、事態を重く見、王妃にフェルゼンと別れるよう説得する。だが、アントワネットは、同じ女として苦しい恋の胸の内を理解してくれないオスカルをなじるだけであった。
フェルゼンは、自分との恋が王妃の身を危うくすると察し、自ら身を引くことを決意する。オスカルやメルシー伯爵の国を思い、王妃を思う言葉の数々が、彼の心に深く染みていた。フェルゼンは、アントワネットへの深い愛を胸にスウェーデンに帰っていく。そしてアントワネットもまた、全てを知りながら自分とフェルゼンを許した国王の寛大さに、犯した罪の深さを省みるのだった。
密かにフェルゼンへの恋心を抱いていたオスカルだったが、自分を一途に愛してくれている存在に気付く。それは、子供の頃より兄弟同然に育った乳母の孫のアンドレであった。近衛隊から衛兵隊に転属したオスカルは、暴動が頻発するパリにいよいよ出動するという前夜、アンドレと結ばれ永遠の愛を誓うのだった。
やがて、自由を求めて闘う市民と軍隊は激しく衝突するようになり、革命の火は消し去ることもできないほどに大きくなっていく。オスカルとアンドレも市民の為に闘い、命を散らしていった。そしてついに王政の象徴とも言えるバスティーユ牢獄が陥落、革命軍がベルサイユに押し寄せる。
危機迫るベルサイユ宮殿で、アントワネットは革命が起こったという現実を受け止めていた。フェルゼンと別れて以来、国母としての自覚に目覚めた彼女は、王妃としての誇りをもって毅然と運命に立ち向かう。
国王一家がパリのチュイルリー宮に幽閉されていることを、フェルゼンは遠くスウェーデンの地で知った。別れてもなお王妃の面影を追い続けてきた彼は、危険を顧みず国王一家救出のために奔走する。フェルゼンはまず、ウィーンのシェーンブルン宮殿を訪れ、アントワネットの兄であるオーストリア皇帝に救出の援助を懇願した。だが、革命の責任はフェルゼンにもあると指摘され、却下されてしまう。彼に残された道はただ一つであった。王妃の無事を心に祈り、フェルゼンは一路パリを目指す……
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